泉南市 浜区文書アーカイブver0.93ver0.91

町内会について歴史・成り立ち・取り組み方・現状・将来を考える材料

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歴史戦後、町内会はなぜ一度禁止され、どう戻ったのか

町内会は昔から当たり前にあったように見えますが、戦後すぐの数年間、法令で禁止されていた時期があります。1947年に禁止され、1952年に禁止が解けると、各地でまた作り直されました。いまの町内会が「行政の下請けではない」「任意の団体だ」と言われる背景には、この禁止と復活の経緯があります。戦時中の姿、占領下での禁止、講和後の復活、そして復活をめぐって当時からあった賛否を、資料で確かめられた範囲で並べます。

戦時中、町内会は国の仕組みの末端だった

近所の集まりは、明治・大正のころから各地にありました。安曇野市の広報の年表によると、1923年の関東大震災のあと、東京では多くの町内会が自発的に生まれています。 これが国の制度になったのが1940年です。内務省(当時、地方行政や警察を受け持っていた国の役所)が「訓令第17号」を出し、町内会と部落会(主に農村部の集まり)を全国に整えさせました。法的には、市町村の下部の補助機構という位置づけです。 戦争が長引くと、役割はさらに増えました。神戸市の資料によると、1942年には町内会・部落会・隣保(隣組)が大政翼賛会(戦時中、政党を解散させて作られた全国組織)の下部組織としての面も持つことが決まり、生活物資の配給も町内会を通して行われるようになりました。同じ資料は、町内会の任務と負担が増えたと書いています。

占領下の禁止と「政令第15号」

1945年8月に戦争が終わり、連合国軍総司令部(GHQ)による占領が始まりました。神戸市の資料は、占領の目的を「非軍事化と民主化」とし、GHQが地方制度の中で町内会・部落会に早くから注目していたと書いています。1947年、GHQは隣組と町内会・部落会、その連合会を速やかに廃止するよう命じ、政府は廃止を閣議決定して、1940年の訓令第17号を廃止しました。 あわせて出されたのが政令第15号です。占領期にGHQの指示を実行するために出された命令は「ポツダム命令」と呼ばれ、これもその一つです。大野拓哉氏の論文によると、この政令は町内会・部落会などの財産の処分(第2条)、町内会・部落会や似た団体の解散(第6条)、役所の職員が町内会の組織を使う目的でその長に指示を出すことの禁止(第3条)などを定め、違反には罰則を設けていました(第8条)。 禁止はどこまで行き渡ったのでしょうか。自治総研の新垣二郎氏の論文は、一般的な見方として、この5年間も多くの町内会は名前や役員を替えただけで実質的に続いていたと紹介しています。神戸市では、町内会の事務は区役所が引き取り、配給は町内会の単位ごとに作った「配給組」が受け持ちました。防犯は自警団、衛生は衛生自治会、親睦は共助会へと、町内会の仕事は別々の組織に分かれて引き継がれました。

講和後の復活

1952年4月にサンフランシスコ平和条約が発効して占領が終わり、政令第15号も1952年に効力を失いました。新垣氏の論文は、自治庁が1952年に行った世論調査を引いて、失効から3か月以内に、以前の町内会のおよそ80%が作り直されたと書いています。 ただし、政府が町内会を戦時中の形に戻したわけではありません。同じ論文によると、地方自治庁(当時の国の役所)は1951年10月の通知で、町内会を戦時中の行政末端機構のような形で復活させる意向はないと表明していました。安曇野市の年表も、1952年の失効にあたって政府が、復活させる意向はないが、復活を禁止する考えもないと表明したと記しています。国は作らせもせず、止めもせず、住民が自分たちで作り直すという形で、町内会は戻ってきました。 一方で、市町村の側は町内会を頼りにしていきます。神戸市の資料は、講和後に各地で町内会・自治会が少しずつ再建され、市区町村が行政協力の仕事を多く頼むようになったと書いています。ただ神戸市自身は、町内会が「行政の末端組織や下請け機関であってはならない」という反省から長く距離を置きました。1968年の組織率(加入している世帯の割合)は43.2%にとどまり、その後協力関係を深めて、1979年に90%に達しています。

復活をめぐる賛否

町内会の復活は、当時から歓迎ばかりではありませんでした。新垣氏の論文によると、マスメディアや学界は総じて批判的でした。1953年の雑誌『都市問題』の特集では、奥井復太郎・磯村英一・鈴木栄太郎の3人が、町内会を「前近代的な遺制(古い時代の名残)」として否定的に論じています。働く場所と住む場所が離れていく都市では、近所の結びつきに頼る組織は成り立たない、という見方です。 反対に、禁止が解けて3か月ほどで8割の町内会が作り直されたという数字は、近所でまとまる組織を住民が必要としていたことを示しています。行政の側も、連絡や衛生、防犯などで地域のまとまりを求めました。町内会を「戦時体制の名残」と見るか、「暮らしに必要な住民の自治」と見るかは、この時代から続く論点です。 その後、町内会は長く法律上の位置づけがないままでした。大野氏の論文は、1952年の失効から1991年に地方自治法第260条の2で「地縁による団体」が定められるまで、町内会の法的な扱いは「まったくの空白状態」だったと書いています。

考えるための問い

  • あなたの町内会が引き受けている仕事のうち、住民どうしのためのものと、市役所から頼まれているものは、それぞれどれくらいありますか。
  • 戦時中のように国の仕組みに組み込まれた町内会と、入るかどうかを住民が選べる町内会。あなたの町内会はそのあいだのどのあたりにあると感じますか。
  • 浜区の場合はどうか、考えてみてください。浜区がいつごろ、どんな事情で今の形になったのかを知っている人は、周りにいますか。

出典

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