泉南市 浜区文書アーカイブver0.93ver0.91

町内会について歴史・成り立ち・取り組み方・現状・将来を考える材料

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歴史町内会を「区」、会長を「区長」と呼ぶ地域があるのはなぜか

地方では、町内会や自治会を「○○区」と呼び、その長を「区長」と呼ぶところが少なくありません。市の規則で区長を置き、広報紙の配布や要望の取り次ぎを頼んでいる市町村もあります。この呼び方の起こりは、1888年(明治21年)の市制町村制と、それにあわせて行われた「明治の大合併」にあります。合併で村でなくなった旧村が、どんな形で新しい町村の中に残り、それが戦前の区長制度、戦時の町内会、いまの行政区長や行政協力委員へとどうつながったのかを、法律の条文と研究者の調べで確かめます。自分の町内会の区域や役目がどこから来たのかを考える材料になります。

明治の大合併で村は5分の1に

市制町村制は、1888年4月に法律第1号として定められ、1889年4月から施行されました。日本で初めての近代的な地方自治の制度です。総務省の資料によると、江戸時代から続く町や村は1888年の時点で7万1,314ありました。国はこれを、教育、徴税、土木、救済、戸籍の事務をこなせる大きさにまとめようとしました。1888年6月13日の内務大臣訓令第352号「町村合併標準」は、1町村をおよそ300〜500戸とする目安を示しています。その結果、1889年には39の市と1万5,820の町村、あわせて1万5,859になりました。数はおよそ5分の1です。 合併された旧村は、自治体としての地位を失いました。それでも、住民の暮らしの範囲は旧村の単位で完結していることが多く、田畑の水や山の利用、祭りなどは旧村ごとに続きます。山梨学院大学の日高昭夫氏の論文によると、旧村の名は新しい町村の中の区画である「大字」として残す場合が多く、城下町などでは「町」として残りました。地名に残る「大字○○」の多くは、この合併前の村です。

町村制が用意した「区」と「区長」

法律の側にも、旧村を受け止める仕組みがありました。町村制第64条は、町村の区域が広いときや人口が多いときに、町村会の議決で町村をいくつかの区に分け、区ごとに区長と代理者を1人ずつ置けると定めています。区長は名誉職、つまり給料の出ない役で、町村会がその町村の公民(選挙権をもつ住民)の中から選びました。第73条は、区長を町村長の補助をする者と位置づけ、町村長の指揮命令を受けて区内の事務を手伝わせています。 この「区」は、自治体ではありません。法律の説明書にあたる「市制町村制理由」は、区は法人ではなく、財産も予算も議会ももたないと書き、区長を旧制度の伍長や組長の例を引き継いだものとしています。起草にかかわった大森鍾一は、合併で村の形を失った旧村の利益を無視できないために第64条を設けたと振り返り、町村の中に小さな機関をつくる趣旨ではなく「已ムヲ得サルノ便法」だと述べています。日高氏は、国にこの制度を広める意図は乏しかったと見ています。 区会という名前の機関もありましたが、これは別の場面のものです。町村制第114条は、町村の一部が山林や施設などの財産を特別にもつ場合に、条例で区会や区総会を置けると定めました。大阪府枚方市の手引きによると、合併のときに旧村が新しい町村に引き渡さなかった山林、ため池、墓地などを、旧村の区域が持ち続けられるようにした仕組みで、1947年の地方自治法で「財産区」という名前の特別地方公共団体になりました。いまも「○○財産区」が残る地域があります。

便法だった区長が全国に広がる

それでも区長は町村に定着しました。日高氏が内閣統計局の統計年鑑から集計したところ、区長とその代理者の数は、1889年末に町村で3万9,605人でした。1933年には16万2,227人と、約4.1倍に増えています。日高氏は、合併後の旧村の扱いに困った町村が、この便法に活路を見いだしたと見ています。 制度もそれに合わせて変わりました。1911年の全文改正では、「区域が広い」「人口が多い」という区を置く条件がなくなりました。1926年の改正で区長は町村長の推薦にもとづいて決めるようになり、1943年の改正では町村長が選ぶ形になっています。区長は、住民の代表というより、町村長の手足としての性格を強めていきました。

戦時の町内会への橋渡しと戦後

1940年に国が部落会と町内会を全国でそろえたとき、通牒(国からの通知)は、部落会や町内会の区域が行政区と同じなら、区長を会長にするよう求めました。1943年の改正では、町村長が町内会長や部落会長に事務の一部を手伝わせることができるとされました。日高氏は、任意に置かれていた区長から、全国一律の町内会への「橋渡し」と見ています。1946年9月の改正で「区長及其代理者」の条文は消え、町内会長などに報酬を払えるようになりました。その後、町内会は1947年に禁止され、のちに住民の団体として再びつくられます(戦時と戦後の経緯は別の記事にあります)。 法律から区長の名前が消えても、仕組みは残りました。日高氏が2008年に全国の市区町村に行った調査では、町内会長を市町村長が非常勤特別職(常勤でない特別職の地方公務員)として委嘱する「行政区長型」と、地域が推薦した個人を委嘱するがその多くを会長が務める「行政協力委員型」が、あわせて47%の市区町村で使われていました。続く論文では、明治から昭和の初めに区長制度が早く広まった府県(宮城、福島、群馬、福井、福岡、佐賀など)ほど、いまも行政区長型をとる市町村が多いことを示しています。反対に、大阪府は秋田、和歌山、徳島、高知とともに、戦前に区長制度があまり広がらなかった府県に入っていました。 岩手県北上市の広報(2017年1月)は、市を125の行政区に分け、市の規則にもとづいて市長が委嘱する非常勤特別職の区長を置いていると説明しています。仕事は広報紙を各世帯に届ける、住民の相談や要望を市に取り次ぐ、市からの情報を伝える、防災組織と連絡をとる、の四つです。同じ広報は、自治会は住民がつくった組織で、区域が行政区と一致するとは限らないとも書いています。

2020年の法改正で問われた区長の身分

この形は、2020年4月1日の改正地方公務員法の施行で見直しを迫られました。改正で、非常勤特別職にできる職は、専門的な知識や経験をもとに助言、調査、診断などを行う職に絞られました。総務省のマニュアル(2018年)は、市町村と住民の連絡調整を行う「区長」を、勤務時間の把握が難しいという理由だけで特別職にするのは適当でないとしました。公務員として任用するなら一般職とし、そうでなければ、文書の回覧や配布を委託する方法も考えられるとしています。区長を会長個人への委嘱とするか、会への委託とするかで、誰が責任を負い、住民からどう見えるかが変わります。

考えるための問い

  • 自分の町内会の区域は、明治の合併前の村や大字と重なっているでしょうか。会の名前に旧村や大字の名前は残っていますか。浜区の場合はどうか、考えてみてください。
  • 市から配布物の配布や推薦などを頼まれるとき、それは会長個人への委嘱でしょうか、会への委託でしょうか。どちらが会員にとってわかりやすいと思いますか。
  • 区長が行政の手伝いと住民の代表を一人で兼ねることには、話が早く通る良さと、役所の言い分を伝える役に偏る心配の両方があります。自分の地域ではどちらが強いでしょうか。

出典

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