歴史団地自治会はどう生まれたか 高度成長期の新しい住民組織 10月24日 14:24 登録
1955年に日本住宅公団ができ、大都市の郊外に何千戸もの団地が建ちました。入居したのは地方から出てきた若い世帯が中心で、昔からの町内会も地域の顔役もいない場所で暮らしを始めました。そこで住民が一から作ったのが団地自治会です。家主の公団と交渉し、家賃の値上げに反対し、のちには高齢になった住民の見守りを引き受けるようになりました。古くからの町内会とは成り立ちも性格も違うこの組織の歩みをたどると、町内会が何のためにあるのかを考える手がかりが得られます。
団地はなぜ、誰のために建てられたのか
中田実さん(名古屋大学名誉教授)の論文によると、戦後の住宅不足は420万戸といわれました。国は1950年に住宅金融公庫をつくって持ち家を支え、1951年から低所得層向けの公営住宅を建て、1955年に設立した日本住宅公団で都市の中間層向けの集合住宅を整えました。1960年代には千葉県松戸市の常盤平団地(1960年入居開始)、大阪府の千里ニュータウン(1962年)や泉北ニュータウン(1967年)など、大規模な団地が続きます。 当初の住戸は部屋数も広さも抑えられ、入居者として想定されたのは親と子だけの核家族でした。入居者の多くは地方出身の若い世帯で、年齢も暮らしぶりも近い人が集まりました。入居が始まると、保育所や学校の不足、通勤の不便といった同じ悩みに、みんなが一度に向き合うことになります。最初の団地自治会は何をきっかけに生まれたか
九州産業大学の小池高史准教授は、『日本住宅公団10年史』(1965年)をもとに、公団の団地で最も早くできた住民団体を、公団の団地第1号である大阪府堺市の金岡団地で1957年に結成された「金岡団地住宅会」だとしています。入居してすぐ壁に結露が出て不満が高まっていたところへ、公団が税金に当たる額を家賃に上乗せすると伝えてきたため、それに対抗しようと作られました。 この動きは各地に広がり、大阪では「住宅会」、東京では「自治会」の名で、団地ごとに住民団体が生まれます。東京都小平市の小平団地(1965年入居開始)では、団地内のスーパーの値段、ごみ置き場や街灯の不足、最終バスが早いことが共通の悩みになり、自治会づくりにつながりました。ほかの団地で自治会を経験した人が引っ越してきて、作り方を伝えたことも大きかったといいます。 東京都調布市と狛江市にまたがる神代団地(2,092戸)では、1965年7月の入居から3か月後の10月31日に結成総会が開かれ、約1,600人が入会を希望しました。自治会は、保育園や幼稚園の不足、駅から団地までの道路やバスの本数といった問題を、両市や公団と交渉して一つずつ片づけていきます。古くからの町内会と何が違ったのか
第一の違いは、成り立ちです。団地自治会は、同じ時期に引っ越してきた見知らぬ者どうしが、目の前の困りごとを解決するために作りました。社会学者の大橋薫は1964年に、団地には地域の有力者も昔からの慣わしもないため、町内会に比べて民主的に運営され、住民の参加も多いと書いています。 第二の違いは、交渉の相手です。団地の家主は公団なので、自治会は住民の要求をまとめて家主とかけあう、借家人の組合に近い役目を持ちました。大橋は、団地自治会には「要求貫徹の組合的性格」が強いと見ています。そのうえで、切実な問題があるときだけ団結し、解決すると関心が薄れやすいとも指摘しました。 第三の違いは、加入の仕方です。神代団地自治会は、はじめは希望した人だけが入る仕組みでした。公団の発足から20年ほどたった時点でも、自治会がある団地は5〜6割程度だったとされます。家賃値上げ反対と全国組織
家賃は、全国の団地自治会に共通する問題でした。小池准教授によると、1970年には全国規模で家賃値上げ反対運動が始まっています。民間の賃貸住宅との差を正すとして、公団が1978年に家賃を一斉に値上げすると、住民は半年間、値上げ前の家賃だけを払い続けて抵抗しました。公団総裁が裁判に訴える意向を示すと、1979年に住民側が先に訴え、全国259人の住民代表が原告になりました。この「家賃裁判」は1985年3月に和解で終わります。 団地どうしの連合も作られました。東京23区自治会協議会の年表によると、1960年1月に公団住宅自治会協議会(実際は関東の協議会)ができ、1974年7月に全国公団住宅自治会協議会(全国自治協)の結成総会が開かれました。ただし平凡社の『世界大百科事典(旧版)』は全国自治協の結成を1970年としており、資料によって年が違います。同じ事典は、公営住宅の居住者の全国組織が1962年に、公社住宅の全国組織が1975年にできたこと、家賃値上げ反対などが結成のきっかけだったことも記しています。住民運動と革新自治体の時代
団地自治会の動きは、団地の外の政治ともつながっていました。『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、革新自治体(革新政党の推薦などを受けた首長が率いる自治体)は、1960年代後半から70年代初めに、住宅や土地、公害といった都市問題の解決を求める住民運動の高まりの中で生まれました。東京都の美濃部亮吉知事(1967〜1979年)や横浜市の飛鳥田一雄市長(1963〜1978年)が代表例で、ブリタニカ国際大百科事典は1977年に約150を数えたとしています。 中田名誉教授は、1970年代の革新自治体づくりや住民運動を支えた大きな力の一つが、若い団地住民だったと述べています。神代団地の自治会が道路やバスの問題を市と交渉したように、保育所や学校、交通は自治体の仕事にかかわるため、団地の要求は家主だけでなく市や都にも向けられました。高齢化した団地で自治会は何を担うようになったか
若い世帯で始まった団地も、子ども世代が出ていき、住民の高齢化と空き部屋の増加が進みました。神代団地自治会は1982年に規約を改め、入会を希望制から全世帯加入に変えました。非会員が活動の恩恵だけを受けることへの不満があったためです。同じ年に、決まった専門部で動く形から、年度ごとに必要な委員会を置く形へ改めたことで、その後の変化に合わせやすくなりました。1987年には「老人福祉問題委員会」を作り、1988年からは増設した集会所の喫茶室を高齢者の集いの場に使い始めます。いまは見守り訪問や「あんしん登録カード」にも取り組んでいます。 千葉県松戸市の常盤平団地(UR賃貸5,359戸)では、2001年春に一人暮らしの男性が死後3年たって見つかり、翌年にも孤独死が続きました。自治会は団地の地区社会福祉協議会や民生委員と組んで「孤独死ゼロ作戦」に取り組み、異変を知らせる「孤独死110番」や、2007年に始めた「あんしん登録カード」と「いきいきサロン」を重ねてきました。長寿科学振興財団の記事では、団地の高齢者の割合は約54%です。 家主に要求をぶつける組織として始まった団地自治会は、住民どうしで支え合う組織へと役目を広げてきました。一方で、小池准教授は、役員や行事の参加者も高齢者が多数派になり、後継者の不足や担い手の健康が課題になっていると報告しています。考えるための問い
- 自分の町内会は、もともとどんな困りごとを解決するために作られたのでしょうか。いま住民が共通して困っていることは何でしょうか。
- 団地自治会は、家主や役所と交渉する組織として始まりました。町内会が住民の声をまとめて市などに伝える役目は、どの程度果たせているでしょうか。
- 希望制から全世帯加入に改めた団地自治会があります。加入の仕方と非会員への向き合い方について、浜区の場合はどうか、考えてみてください。