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歴史市制町村制と昭和の大合併で、江戸以来の村はどう残ったか 10月26日 14:21 登録

1888年末に全国で71,314あった町村は、翌1889年(明治22年)の市制町村制の施行で15,859の市町村になりました。そのおよそ70年後、昭和の大合併を経た1961年には3,472まで減っています。数が減るとき、江戸時代から続いた村の寄合や、村が持っていた山や溜池はどうなったのでしょうか。この記事は、二度の大合併のあとに旧村がどういう形で残ったのかを、確かめられた資料の範囲でたどります。町内会や区が自分たちの範囲や財産をどう考えるかを、歴史の側から見直す材料になります。

1888年末の7万1千余りが、翌年には1万5千余りに

市制町村制は1888年(明治21年)に法律第1号として公布され、1889年4月に施行されました。教育、徴税、土木、救済、戸籍の事務をこなせる規模にするため、内務大臣の訓令で300戸から500戸が標準とされました。この結果、71,314あった町村が15,859(39市と15,820町村)になり、約5分の1です。 総務省の資料は、この合併を「自然村・集落のレベルから行政体としての組織へ」の移行と説明しています。ただし、役所が最初から村の実態に合わせたわけではありません。同じ資料によると、1871年の戸籍法の区画や1872年の学制の学区は従来の村の範囲と合わず、1878年の郡区町村編制法で、従来のコミュニティを基本にした区画に直されています。

合併した村は「大字」として名前を残した

千葉県の野田市の資料に、1889年4月の文書が紹介されています。船形、尾崎、中里、東金野井の4村を合わせて川間村とし、「旧村名を大字として存する」ことを承知するように、と記された文書です。大字(おおあざ)とは、合併した町村の中で旧村の名前を引き継いだ区域のことです。 それまでの旧村は、村ごとに組長が、いくつかの村ごとに戸長役場が置かれる仕組みでした。合併後は村会や村長を持つ村になり、旧村は大字と呼ばれるようになります。ただし、新しい村の一体感が育つには時間がかかりました。同じ資料は、小学校の位置をめぐって旧村どうしが感情的に対立した例を挙げています。青年会や農会などの団体を通じて村が運営されるようになるのは、明治の終わりから大正にかけてだと書かれています。 これは一つの村の例です。全国の旧村がみな同じ経過をたどったとは、この資料からは言えません。

旧村の山や溜池を残す「財産区」

旧村が持っていたものの扱いにも、仕組みがありました。大阪府の枚方市がまとめた「財産区の手引き」によると、江戸時代の村は、農業用水と入会林野(村人が共同で使う山林や草地)を中心に結びついた生活共同体でした。1889年の合併のとき、旧村の財産のうち新しい町村に統合されなかったものについて、旧村の区域に法人格を認めたのが財産区です。山林、溜池、井溝、墓地などが対象になります。 手引きは、合併のあと旧町村は新町村の単なる行政区画(大字)になったと述べています。枚方市には1889年より前に37の村があり、その多くに財産区があるそうです。「財産区」という名前が法律に出てくるのは1947年の地方自治法からですが、中身は市制町村制の時代からほとんど変わっていない、と手引きは説明しています。

昭和の大合併のあと、旧町村は「地区」や財産区に

1953年10月に町村合併促進法が施行され、新制中学校を1校置くのに必要とされた人口約8,000人が標準になりました。1956年には新市町村建設促進法が続きます。全国の市町村は1953年10月の9,868から1961年6月の3,472へ、約3分の1に減りました(総務省、秋田県の資料)。 合併した町や村の範囲は、その後どう呼ばれたのでしょうか。野田市の資料では、1950年に野田町など4町村が合併して野田市になり、それまでの町村の範囲は「地区」と呼ばれるようになった、とあります。財産については、枚方市の手引きによると、1954年(昭和29年)の地方自治法の改正で、合併による財産区を新しく設ける制度や、住民の意向を反映する財産区管理会などの規定が加わりました。枚方市の津田町は1940年に3村が合併してできた町で、3つの財産区が置かれました。津田町は1955年に枚方市に合併されましたが、3つの財産区は現在まで続いています。そのうち1つは、2020年度末に財産区議会をやめて管理会に移りました。

確認できなかったこと

旧村単位の区会や自治会が、合併のあとどれだけ残ったのかを示す全国の数字は、今回の調べでは見つかりませんでした。今の町内会や区の範囲が旧村の範囲と重なる割合も、確認できていません。旧村と町内会の関係を直接論じた資料は、開けたものの中にありませんでした。

考えるための問い

  • 自分の町内会の範囲は、江戸時代や明治の村の範囲、あるいは大字の範囲と重なっているでしょうか。重なっているなら、そのことは今の会の運営にどう関わっているでしょうか。
  • 町内会が持つ集会所の土地や山林、溜池などは、もとをたどると誰のもので、誰が管理してきたのでしょうか。名義や管理の決まりは、今の住民に分かる形で残っているでしょうか。
  • 合併で行政の単位が大きくなっても、旧村の単位に暮らしの結びつきが残ることがあります。浜区の場合はどうか、考えてみてください。

出典

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