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町内会について歴史・成り立ち・取り組み方・現状・将来を考える材料

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歴史衛生組合は町内会の源流か 伝染病予防法から神戸の町内会の誕生まで 10月31日 14:21 登録

町内会の歴史は、江戸の五人組や戦時下の隣組の話として語られることが多くあります。その間の明治半ばから昭和初期には、伝染病を防ぐために行政が住民に作らせた「衛生組合」という近所のまとまりがありました。この記事では、衛生組合が法律にどう位置づけられていたか、神戸市の資料では町内会とどうつながっていたかを、確かめられた範囲で整理します。確かめられなかった点も最後に分けて書きます。町内会の大掃除や班の由来を考える材料になります。

衛生組合は伝染病予防法に書かれていた

伝染病予防法は1897年(明治30年)3月30日に公布され、4月1日に施行されました(法律第36号)。コレラ、赤痢、腸チフス、天然痘など8種の病気を対象に、患者の届け出や隔離、消毒を定めた法律です。 寒川文書館(神奈川県)の資料によると、この法律は市町村に三つのことを義務づけました。伝染病予防委員の任命(第15条)、伝染病院か隔離病舎の設置(第17条)、そして衛生組合の設置(第23条)です。 同じ資料で、寒川村の対応がわかります。村は衛生組合を20世帯から50世帯を目安に作らせ、日常の予防や患者が出たときの対応を地域のなかでさせました。村が12か条のひな形を示し、各組合がそれをもとに規約を作っています。ひな形には、組合長が見回ること、患者が出たときの対応、消毒の器具や薬品の用意、組合の経費、違反者への罰則などが入っていました。寒川村の組合は全部で21です。記録は昭和22年(1947年)ごろまで断片的に残り、注意を呼びかける通知、映画の上映、清潔な家の表彰などが見られます。 ただし、法律ができる前から動きはありました。神戸市の資料は、1890年(明治23年)の内務省の訓令が、江戸時代の五人組にならって近所の単位で衛生組合を作るよう、行政指導ですすめたと書いています。神戸市は翌1891年に市の条例で衛生組合と衛生委員の置き方を定めました。 組合の大きさは場所によって違います。内務省の長与専斎や後藤新平らが構想したとする研究報告では10世帯から20世帯が1組とされており、寒川村の20世帯から50世帯とは幅が合いません。全国一律の規模があったとは書けません。

相互に注意し合い、見張る仕組み

衛生組合は、住民が自分から集まった親睦の会とは性格が違います。神戸市の資料は、消毒や清潔の維持のために近所で協力し、注意し合うだけでなく、互いに見張ることも大事な働きだったと述べ、通報も重んじられたと書いています。 福岡県の門司港を調べた研究(遠城明雄氏、1996年度)も同じ方向です。コレラ対策は、患者宅の周りの交通を止めたり掃除をしたりする応急の手当てから、予防へ重心が移りました。その柱が、地域の集団を作り直した衛生組合と、住民同士の相互監視、衛生展覧会、清潔法による定期的な掃除でした。研究はこれを、住民が衛生の担い手として自分で動くことを期待した政策だと見ています。 一方、神戸市の衛生組合について調べた尾崎耕司氏の研究報告は、従来の研究が警察の取り締まりの末端とみる見方や、地元の有力者の選挙の基盤とみる見方にとどまっていたと指摘します。神戸では、衛生組合は市会の委員など名誉職の自治の機関から切り離され、民法上の組合として住民が任意に作るものとされていました。制度の上では、行政の命令で動く末端と、住民の自発的な組合の中間にあったことになります。

汚物掃除法はどこに出てくるのか

ごみとし尿の扱いを定めたのは汚物掃除法です。環境省の年表によると、1900年(明治33年)3月に公布され、4月に施行されました。し尿とごみを行政サービスとして、市と特定の町村が処理する仕組みで、1930年(昭和5年)の改正で市町村にし尿の収集と処分が義務づけられました。1954年(昭和29年)の清掃法の公布で廃止されています。 今回開いた資料では、この法律が衛生組合の根拠だったとは確認できませんでした。衛生組合の設置を求めていたのは、確かめられた範囲では伝染病予防法の第23条です。ごみの処理を行政が担う法律と、掃除や消毒の実行を住民の組合が担う制度が、同じ時期に並んで進んだと言えるにとどまります。

神戸では衛生組合から町内会が分かれた

神戸市の資料で、衛生組合から町内会へのつながりがいちばんはっきり読み取れます。 衛生組合は1924年(大正13年)に395組合まで増えました。数が増えるにつれ、衛生と関係のない行政との連絡や手伝いの仕事が増えます。組合員の側には、衛生組合が選挙運動に使われている、役員の権限が大きくなって不適切な指導がある、という不満が出ました。 兵庫県は1933年(昭和8年)に伝染病予防細則を改め、世帯主を組合員にすることの義務づけ、役員の選び方、組合の仕事の範囲を定めました。仕事は衛生関係に絞られ、行政の監督も明記されました。組合側はこれに反発します。行政の補助機関の役割も担ってきた実情に合わない、窮屈な決まりだという声でした。 そこで考えられた打開策が、衛生以外の仕事を引き継ぐ町会(町内会)を作ることでした。町内会は1934年(昭和9年)に結成され、区域は衛生組合と同じで、役員も兼ねる人が多かったとあります。神戸市の資料はこれを、形の上で衛生組合から分かれた町内会が作られていった、と書いています。 同じ資料は、京都や東京では町会が早くから整っていて、それが明治以後の町内会になったと書いています。これに対し、幕末に開港して都市が急に大きくなった神戸や横浜では、衛生行政のために近所の組織が整えられていったという対比です。したがって、衛生組合がすべての町内会の源流だったとは、この資料からは言えません。神戸のような新しい港町の、ひとつの道筋として読むのが妥当です。

確かめられたことと、確かめられなかったこと

確かめられたのは、次の点です。
  • 伝染病予防法(1897年)が、市町村に衛生組合の設置を義務づけていたこと(寒川文書館の資料)
  • 衛生組合に、相互に注意し合い通報する性格があったこと(神戸市の資料、門司港の研究)
  • 神戸市では1934年に、衛生組合の区域を単位に、役員も重ねて町内会が作られたこと
確認できなかったのは、次の点です。
  • 神戸以外の都市や農村で、衛生組合から町内会が分かれた例がどれだけあるか
  • 汚物掃除法と衛生組合の直接の関係
  • 衛生組合の規模や仕事の全国的な標準

考えるための問い

  • 町内会が行っている清掃や消毒、見回りの仕事のうち、もとは行政の求めで始まったものはどれでしょうか。いまは誰のための仕事として続いているでしょうか。
  • 神戸では、衛生以外の仕事が増えて役員の権限と負担が大きくなり、組合が分かれました。町内会の仕事が増えたとき、どこまでを引き受け、どこから外に出すかを、どう決めればよいでしょうか。
  • 近所で注意し合うことは、助け合いにもなり、互いの見張りにもなります。町内会の声かけや回覧は、どちらの面が強く出ていないでしょうか。

出典

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