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町内会について歴史・成り立ち・取り組み方・現状・将来を考える材料

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歴史惣村や宮座の自治は、町内会の祖先なのか新着 11月1日 14:21 登録

町内会の歴史をたどると、江戸時代の五人組や明治の市制町村制がよく出てきます。その手前には、中世の農民が自分たちで村を運営した「惣村」や、祭りを担った「宮座」があります。この記事は、この中世から近世の村の自治が、のちの町内会・自治会とどうつながるのか、あるいはつながらないのかを、研究者の整理をもとに並べます。町内会の「ご先祖」をどこに置くかで、町内会の性格の見え方が変わるため、自分の町内会を考えるときの材料になります。

惣村と寄合は何をしていたのか

惣村は、中世の農民が作った自治的な村落の組織です。山川出版社の『日本史小辞典』は、鎌倉時代の後期から中世の終わりまで、おもに畿内(いまの近畿の中心部)とその周辺で広く作られたと説明しています。 村の指導層は乙名(おとな)や沙汰人(さたにん)と呼ばれました。村人が参加する寄合(よりあい、村の会議)で話し合い、村の掟を決めました。犯罪の取り締まりも村で行い(自検断)、山や用水を共同で使い、領主に年貢の軽減を求めることもありました。村人は鎮守の神への信仰で結びついていたとされます。 町内会の総会や役員会を思わせる点が、ここにはいくつもあります。住民が集まって決める、共有の場所と水を共同で守る、神社を中心に結びつく、という三つです。

宮座は村人全員の集まりだったのか

宮座は、村の氏神や鎮守の祭りを行う村人の組織です。『世界大百科事典』は、成立を11〜12世紀に求め、15世紀に目立つようになったと書いています。家を単位に加入し、年齢や家の序列で席次が決まり、頭屋(とうや)と呼ぶ当番の家が祭りの準備を担いました。 注意したいのは、宮座が村人の全員を含む組織ではなかった点です。同じ事典は、神社の祭事に関わる村の中の特権的な集団と説明しています。『日本大百科全書』には、古くからの家の株と、あとから移り住んだ家の株が並んでいた滋賀県の例が出ています。旺文社の『日本史事典』によれば、小さな農民が自立していくにつれ、特定の家だけの座から氏子全員が参加する座へ移った例もあります。 分布にも偏りがあります。複数の事典が、近畿を中心とする西日本に多く、東日本には少ないと書いています。惣村も畿内とその周辺が中心でした。

江戸時代の村は何を引き継いだのか

江戸時代になると、領主は村ごとに年貢を納めさせる村請制を整えました。『日本大百科全書』は、村役人を通じて村ごとに年貢や諸役を納めさせる仕組みと説明し、村の結束と村の中の上下関係を利用したと述べています。『世界大百科事典』(旧版)によれば、近世初頭の村ごとの検地で確定した制度です。 この制度は、村に自治を残す一方で、村の自治を年貢の徴収に使う仕組みでもありました。中世の自治が、近世には支配の末端として使われたと見ることができます。町内会が行政の末端として使われてきた経緯とも重なる点ですが、これは私の整理であり、資料がそう断じているわけではありません。

「つながる」とみる見方

国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、岡山県立図書館が答えた「町内会の起源を知りたい」という事例があります。回答は、起源をめぐる議論が大きく二つに分かれると整理しています。江戸時代の五人組のような行政上の制度に根拠を求める見方と、住民の生活共同体の自治的な組織である自然村に起源を見る見方です(中田実『地域分権時代の町内会・自治会』による)。 同じ事例は、大内田鶴子『都市近隣組織の発展過程』の整理も紹介しています。日本の地縁組織は、中世から近世の惣村や町組などから、江戸時代の結・講・組などを経て、明治政府による解体、自然な復活、行政への取り込み、戦時の隣組、戦後の解体と再びの復活へと移ったという流れです。惣村は、この長い系譜の出発点に置かれています。 馬場健彦(集団力学研究所)の2021年の論文も、江戸期には集落を単位に意思決定や自助・自治が行われ、用水や入会地の管理、寺社の祭り、講やもやいがその内容だったとまとめています。さらに明治以降、市町村より狭い範囲では、従来の集落のまとまりや近隣の単位が地域の管理を担い続けたと述べ、岩崎信彦らが惣村・惣町を町内会の歴史の一面として指摘したことも紹介しています。馬場自身は、日本の灌漑が藩や幕府の大事業ではなく地元の話し合いに任されてきたことを重く見て、町内会の型は水の分け合いを通じた自治から生まれたと論じています。

「つながらない」とみる見方

今回確かめた資料の中に、惣村や宮座と町内会は無関係だと断言するものは見つかりませんでした。ただし、つながりを弱める事実や議論は、いくつか確認できます。 第一に、時代と場所の距離です。惣村と宮座は畿内を中心とする西日本に多い仕組みでした。中世の村の自治がそのまま全国の町内会の母体になった、とは言いにくくなります。宮座が家の序列と特権をもつ集団だった点も、その地域に住む世帯が広く加入する現在の町内会とは性格が異なります。 第二に、町内会そのものの古さへの疑問です。馬場の論文は、戦後に町内会を「前近代的な遺物」と批判する説(前近代説)があったことを紹介しています。町内会を土地の有力者が運営する保守的な古い制度とみる立場です。この説は町内会を古い時代の残りとみる点で、連続を認める議論の一種ですが、古さを評価せず、都市生活には合わないと考えました。一方で馬場は、この説の予測と違い、町内会が70年たっても広く残っていると指摘しています。 第三に、都市の町内会の成り立ちです。馬場は、もともと歴史のある町には町の単位とルールがあった一方、都市の町内会の多くは、そこに衛生などの現代的な課題が加わって徐々に形成されたと述べています。農村の惣村や宮座とは別の道筋をもつことになります。また大内田の整理には、大正期以降の行政への取り込みや戦時の隣組が入っており、途中で国の政策が何度も組織の形を変えたことが分かります。 さらに馬場は、日本の集団の型としての町内会を説く「文化型説」について、型がどこから生まれたかの説明が足りないと評しています。つながりを強調する議論にも、証拠の空白が残っているということです。

二つの見方をどう読むか

つながるとみる側は、住民が集まって決める、共有の場を守る、神社を中心に結ぶという仕組みの共通性を見ています。つながらないとみる側は、地域差、加入の資格、制度が何度も作り直された経緯を見ています。両者は同じ事実の別の面を指しており、どちらかが誤りとは限りません。 少なくとも、町内会の「古さ」は一つの数字では言えないことが分かります。名前が一般に広まったのは昭和ですが、地縁で集まって暮らしを守る営みはそれより前から各地にありました。そのため、町内会が何をすべき組織か、誰が入るべきかという問いに、歴史だけで答えは出ません。

考えるための問い

  • 自分の町内会の決まりごとや行事のうち、行政から頼まれて始まったものと、住民が自分たちで必要として続けてきたものは、それぞれどれでしょうか。
  • 宮座のように「家」を単位に席が決まる仕組みが、いまの町内会の役員や総会の運営に形を変えて残っていないか、考えてみてください。
  • 町内会を「古い共同体の続き」と見るか、「時代ごとに作り直された組織」と見るかで、加入や役割の決め方はどう変わるでしょうか。

出典

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